笑いのカイブツを読んだ

つちやたかゆき。

 

間違ったことを盲信。(A)「他人をクソといいつつ自分が一番クソなのをわからないクソ」が多い中、彼に関してはそれ(A)はあり得ないだろうと思った。言葉をひねり続けているから。ならばなぜそれと同じ現状なのか。はじめに思いついたのは努力は良いことだと報われることだという彼の価値観によるものなのではということ。俺のばあいはいやそんなこといってけなしている自分が一番無意味だろというところに思考が回ってたどり着くとそこでどうしようもなくなるのだが、彼の場合はこれ以上ないくらい努力をしている。そしてそれによる自信や、誇りみたいなものがあるせいで他人をけなすことを正当化できてしまうのだ。俺は努力はそもそも意味ない、結果のみと思っているのでそうはならない。(そもそも努力もこれ以上ないと思えるほどやっていないが。)正しいのにつらい。これは苦しい。誰よりも努力をしているからただしいという価値観が俺とは違うと言ったが、だれよりも努力をした結果(するしかなかった結果)自己防衛のために努力は正しいことだと思ってしまうのかもしれない。そうだとしたら悲しい。

 

アナタを幸せにしてあげたい気持ちはあっただろうけど、それは笑いよりも優先されるほどのものではなかったのかなぁ。不器用(←くそみたいな表現)でその優先順位のシフトがうまくいかなかっただけなのかなぁ。

 

どちらにしろあるのは結果のみだし、どちらも再現、証明できるものではない。