三島の大義に生きることに対する幸福と、今の金持ちがよく言う自分の好きなもの熱くなれるものに対する幸福は違うもの。岡本太郎は後者。

やっぱり、本当の熱を見つけられないかつ、そういったものを見つけた人たちをうらやむ気持ちがつよくて、それを何とか自分なりに消化しようとして大義に行きついたのだと思う。いわば言い訳である。三島の育ってきた状況を見ればほぼ確信できる。

そういったところのダサさ、頭でっかち感から三島は好きになれない。

 

何も情けなくないし、個人より環境の影響の方がばかでかいし、他人を否定するつもりは全くないけど、けど、俺はそういうものを情けないと思う立場をとることによって自分を奮起させる立場を選ぶ。今は。