スピリチュアルの狡さ

スピリチュアルの狡さについて毎回たとえを探すけど、いいものが思いつかん。

まずは箇条書きしてみる。

・最高の、あるいは特別な体験(感情)があると誘う。

・そしてそれは内側に入れなければ解らないと言う。外からの否定ができない。

・一度内側に入ったら出られない。

 

まるで事象の地平面。やっぱり近寄らないに限るな。

 

いや、しかし、「登った人にしか見れない景色がある。」というのはよくわかるし、納得できる。やったやつにしかわからないなんてことはスピリチュアル以外でもよくある。なんでこんなにもスピリチュアルだけ狡くみえるのだろうか。スポーツとかと違って事故った人がわかりやすいからかな。事故っても肉体的には生きてはいける。つまり日常でそういう人が目に入る。スポーツだとでも事故ったら死んじゃうし、それはその場にいない限り日常生活で見えないもんな。

書いててよくわからなくなったので、ヤメ