誰かを楽しませるためのものを消費している。

ある程度まじめな本ですら、読者が気になる問いかけとちょうどよいテンポでその答えが返ってくるように計算されている。

となると純粋な楽しみとは何だろう。ここでいう純粋とは純粋に楽しい、ではなく、だれにも手を加えられないままで楽しいもののことである。

本能に近ければ近いものほどそうなるだろう。性的なこと、狩猟的なこと、休息、安心感。最初の2つはアドレナリン的で、あとの2つはセロトニン的である。

 

いや、アプローチの方法を変えて、やはりそもそもそれらは別物だと考えるべきなのかもしれない。脳の中で動物的な部分と理性的な部分があるわけで、その2つが楽しいと感じるものは違う種類のものだということだ。

いや、しかし手を加えられて、計算されつくしたゲームのようなものは上手にその両方を刺激する。それはどちらにも分けられるものではないなぁ。

やっぱり、ものによって脳の中で楽しむ部分が違うというのはなんか違う気がする。

 

いや、答えが出ないけど、本読んでて知識欲ですら計算されたテンポで与えられるのが気持ちいいと感じて、それを疑問に思っただけなんだけどさ。

知識欲はそういうふうにだれかに方向を補正してもらわないほうが面白いものだと思っていたから。こどもが何かを意味もなく興味を持ち眺めるその楽しさすら計算されているほうが良いものなんて考えたくないじゃん。