なぜ大人になるとかくれんぼうで遊ばなくなるのか

早稲田の入試問題らしい。

子どもの頃に遊んだ「かくれんぼう」は、
大人になると遊ばなくなる。
なぜなのか。
考えるところを
601字以上1000字以内で論じなさい

 

こういう問題面白いよな。なんかたくさん解いてみたいんだけど、こういう問題をひとくくりに検索する言葉が思いつかない。

 

なぜ大人になるとかくれんぼうであそばなくなるのか、これを考えるにあたって、まずはかくれんぼうの楽しさについて分析したいと思う。かくれんぼの楽しさとは何なのだろうか。はじめに思いつくのは「(ここに隠れているかもしれないと)予想し、その予想が当たっているか外れているか」という種類の楽しさである。この手の、時どき予想通りにいく物事の楽しさはギャンブルや、有名な鶏のエサがでるスイッチの実験などから証明済みである。しかし、この要素は大人も同様に楽しめることから、大人がかくれんぼうをしない理由にはならない。なにか子供だけが楽しめる楽しさがあるのではないだろう。私が考える子供だけが楽しめる要素とは物事の普段見ない面はどうなっているのだろうと思考する冒険心とも呼べる楽しさである。子供は押入れの中や、棚の中をのぞくときに、そこに何があるかの予想あまり正確ではない。いや、正確ではないというよりも先入観やきめつけがないことにより、予想の範囲がとても膨大になるのだ。その結果、先に述べた人がそこに隠れているかどうかの楽しみに加えて、そこにはどんな景色があるのかという楽しみが子供にのみ存在する。これらの大きい楽しさの二大要素がかくれんぼうにはある。

固定観念によって普段と違う視点からみる楽しさを忘れた大人にとってかくれんぼうは、楽しさの二大要素のうちの一つの要素が楽しめなくなった、行動するに値しない遊びとなっているのである。