東大との論争のなかで三島由紀夫はなぜ、「私は個人だから結局はイリーガルでやるしかない」みたいなことを言ったのか。改革、革命はそのとき用意されている正当な踏んで行うことは不可能なのだろうか。

暗殺が行われないから自由に振る舞えるというのは有ると思う。暗殺は駄目だが、そのリスクがどんなことをしても0であるならばそれは独裁者へと加速させる要因の一つには入ると思う。